Tobira

刈屋富士雄

芸能・娯楽・放送 アナウンサー
アナウンサー
元NHKアナウンサー
スポーツ評論家
立飛ホールディングススポーツプロデューサー(執行役員)

早稲田大学時代ボート部に所属し、早慶レガッタに対校エイトのメンバーとして出場。

1983年にNHK入局。
スポーツアナウンサーとして、大相撲、陸上、体操、バレー、競馬、フィギュアスケートなど28競技の実況を担当した。

オリンピックは、バルセロナ、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレーク、ア テネ、トリノ、バンクーバーの8大会で現地からの実況中継を担当した。
特にアテネ大会での体操男子団体決勝では、28年ぶりに日本が王座を奪回する直前、冨田洋之が鉄棒の着地を決める際に「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」と発したコメントは、オリンピック放送史上に残る名実況として高く評価されている。
また、トリノ大会では、荒川静香がフィギュアスケートでアジア人史上初の金メダル獲得を決めた瞬間、「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました。」と実況した。
さらに、バンクーバー大会では「フィギュア史上最高の戦い」とされる浅田真央とキムヨナの対決を臨場感豊かに伝えた。

2011からはNHK解説主幹(スポーツ担当)を兼務し、2017年から解説主幹専任。
北京大会、ロンドン大会、ソチ大会、リオ大会は情報番組のスタジオコメンテイター。
ピョンチャン大会では、解説委員として現地取材を担当した。

大相撲中継取材歴は35年で、三賞選考委員会の司会担当している。

NHKアナ唯一の三つ子のパパとして子育て番組も担当した。

2020年4月30日にはNHKを定年退職。
その後、立飛ホールディングス(本社 ・東京都立川市)とスポーツプロデューサー契約を結び、スポーツのレガシー作りに取り組んでいる。
また、ウィンタースポーツの普及のための財団の立ち上げやアスリートのセカンドキャリアを応援する会社設立の準備も進めている。

これから目指す人へ

きっかけ

小学生のときに見たメキシコオリンピックに感動し、オリンピックを報道する夢を持ちました。
オリンピックは単なるスポーツの競技会ではなく、世界の縮図。
そこから世界が見え、時代が見え人間が見えることに興味を持ちました。
以後オリンピック報道をするためにはどんな仕事があるのか探し続けました。
漠然と記者やカメラマンかなとイメージを持っていましたが、大学でボート部に入り、自らが出場したレースがテレビで生放送された経験から、テレビでのオリンピック報道に大きな魅力を感じました。
テレビはオリンピックの会場とお茶の間をダイレクトに結び、世界中が同時体験することができます。
その会場で起こっている事をその場の空気感をも含めて自らの言葉で伝えるのが スポーツアナウンサーだと気付いたとき、アナウンサーになろうと思いました。

目指した年齢

オリンピック報道の夢をはっきり持ったのは中学生のとき、13歳ぐらいですが、アナウンサーになろうと思ったのは 大学4年生(22歳)になってからです。

役に立った習い事

アナウンサーになるために役に立つ習い事はありませんが、逆に言えばすべての習い事が役に立つと思います。
様々な知識やすべての経験が、アナウンサーとして役に立ちます。

この職業はこういう人に向いている!

・好奇心旺盛な人
・雑談の好きな人
・ポイントを伝えることがうまい人
・探求心の強い人
・人の話を聞くのが上手な人
・事実に謙虚に向き合える人
・素直な人
・人間が好きな人

印象に残る親のサポート

私が興味を持ったものに先入観を入れずに何でもやらしてくれたこと。 とめられたことがない。

これから目指す人への応援コメント

人に何かを伝えようとしたとき、大切なことは「情熱」と「恐れ」です。
人に何かをちゃんと伝えることは実はとても難しいことです。
そのためには情熱が必要です。
そして常にちゃんと伝わわらないかもしれないという恐れを持つことです。
そのことで、受け手の相手の心を想像できます。
そしてしっかりと伝えるために言葉を選び、タイミングをはかります。
つまりコミュニケーション能力の感性が日常的に磨かれることになります。
まずは、日々雑談をしましょう。
相手がどう受けとったのか、受け手の心を思い描く想像力を持ちましょう。