Tobira

今井美樹

芸術 演奏家(二胡奏者・音楽通訳者)
【二胡奏者としての活動】
1997年(23歳):
大学卒業後、大学職員として勤務
1999年(25歳):
仕事に行き詰まりを感じ、余暇で興味のあった二胡を習い始める。
2000年(27歳):
留学準備開始し、仕事を退職。国費留学に合格し中国政府留学生として上海音楽学院民楽系に留学。
2003年(30歳):
龍音杯国際二胡コンクールにて優秀賞・表演賞受賞。
上海音楽学院進修課程修了、帰国。
昭和音楽大学附属音楽教室にて後進の指導を行いながらソロとして演奏活動を開始。
2006年(33歳):
南米の民族楽器奏者や、同級生の女性僧侶とともに音楽ユニットを結成。(活動は今も続く)
2017年(44歳):
長年の他楽器とのコラボレーションが注目され、イタリア・サルデーニャ国際民族楽器ジャズフェスティバルに招聘され現地の喝采をあびる。
2019年(46歳):
文化庁・コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業として、日本各地で民族楽器のコンサートを企画・運営(現在も続く)。
【音楽通訳としての活動】
2000〜2002年:
世界的二胡奏者である姜建華コンサート通訳コーディネート
2005〜2015年:
NHK交響楽団中国ツアー総合通訳等、多数のプロジェクト
2017〜現在:
世界的二胡奏者Geroge Gao氏、講演・巡回コンサート通訳コーディネート

これから目指す人へ

きっかけ

【失敗から気づいた向くこと向かないこと】
大学職員時代、仕事上のミスがあまりにも多く、事務職には向いてないことに気づき、退職。
当時大人の習い事として通っていた”二胡(民族楽器)”は、自分で表現する力が試される楽器だったが、それが自分にはとても楽しく、
長時間の練習もあまり苦に感じなかった。

【職業としてのスタート】
留学から帰国後、人伝てに演奏の依頼が来始めた。
また、留学時代の人脈から、音楽大学で指導をする機会を与えていただいた。
どこから”プロ”として看板を出すかを迷ったが、音大での指導をスタートした時点から、本格的に二胡奏者として活動することとした。

目指した年齢

25歳(二胡を学び始めてすぐ、奏者になることを意識した。実際に叶ったのは30歳だった。)

役に立った習い事

① 少年少女合唱団(大勢の人とコミュニケーションをとりながら音楽的に合わせていくこと)

② 英語(他国の人とイベントで会話したり、仕事上のやりとりをする際、学校で習う英語だけでは足りなかったと実感する)

この職業はこういう人に向いている!

① 演奏上の技術力以外にも、多くの人とコミュニケーションを取る必要があるので、人と関わることが好きであると、より向いている。

② 大勢の人の前で話したりパフォーマンスすることが好きな人。

③ 技術取得のための留学や、演奏旅行などで新しい土地へ行くことが多い。好奇心が強く、ホームシックにかかりにくい人が向いていると思われる。

印象に残る親のサポート

① 将来プロになるかどうかは関係なく、興味のあることを習わせてくれたこと(合唱、エレクトーンなど音楽に関わるもの、語学など)

② 人前で話したり、パフォーマンスをするのに緊張しないように、期待をしすぎず(結果を求めず)ただ楽しんで見に来てくれたこと。

これから目指す人への応援コメント

音楽を仕事にしたいと思っている方へ。
音楽を通してたくさんの人と関わることができ、私は今、とても幸せです。
コロナ禍で人々の心に寄り添う仕事が重要になると思われる昨今、目には見えなくても芸術には人を癒したり、元気付けたりすることができる・・・
そう実感してきました。
何歳で学び始めたか?どこで学んだか?だけで評価する(もしくはされる)ことなく、自分らしくどんな『表現ができるか?』情熱を持ち続けてみてください。
きっと素敵な出会いがたくさん待っています。