Tobira

池田尚弘

専門職 弁護士
幼少期より関東、関西、九州、東北へと転校を繰り返し、小学3年の頃から、新たな環境で、どうすれば周りの人との信頼関係を築けるのか悩み、考えるようになり、いつしか、その場の雰囲気を盛り上げ、誰とでも直ぐに打ち解けることが得意な性格になった。

教育熱心だった親の影響で中学受験をすることになり、小学4年生から毎朝5時起きで一日4時間勉強。
中学・高校の6年間は、朝5時起きで仙台市の学校まで片道2時間通学。
母親は毎日弁当を作ってくれていたので大変だったと、大人になった今振り返り心から感謝。

中学3年の時、短期語学留学で渡米。
アメリカでは、自分と同世代の子が、しっかりと自分の意見を持ち、周りからも一人の大人として受け入れられている環境を目の当たりにし驚愕。
帰国後、外国人と交流したいという下心から英語・英会話の塾に通い猛勉強。

小学1年からバイオリンを習い、将来は音楽大学に進もうと考えた時期もあったが、アメリカのロックに聞き惚れ、クラシックを諦めて中学3年からバンドを始める。
オリジナル曲がテレビやラジオで流れることもあったが、世の中そんなに甘くないと挫折、バンドを解散し大学受験のための勉強を始める。
現在、他のバンドメンバーは、200年以上も続く稼業を継いだり、大学の准教授を務めたり、独立して鎌倉で有名店を営むなど各地で活躍している。

高校3年の頃、世の中の出来事や人々の生活が法律によってルール化され、権利として守られていることを知り、法律に興味を持つようになる。
進学する大学は、環境が育った田舎とどことなく似ていた安心感から選び、法学部へ進学。

大学では、法律の勉強もしつつ、大学の友達と街に繰り出し、ナイジェリア人、フランス系アメリカ人など、多くの外国人と仲良くなり、異文化交流という名のもと夜通しビリヤードにハマったり、日本の政治経済について語り合った。
その友達が起業した会社は、2018年に東証一部上場を果たした。

25歳の頃から弁護士を目指し、予備校で出会った9人で猛勉強。
司法試験は、一流大学出身者が死ぬ気で目指す狭き門。
将来に大きな不安を抱きつつも、勉強合宿など、辛くほろ苦い経験を経て、現在、それぞれが弁護士・裁判官として全国で活躍している。

弁護士になってからは、人との出会いにとても恵まれていると感じることが多々あり、今では、音楽、食、芸能関係などの少し変わった分野を取り扱うことが多くなったが、守秘義務があるため詳しくは書けない。

これから目指す人へ

きっかけ

中学の頃から、誰とでも分け隔てなく接し、初めて会った人でも直ぐに打ち解けることが得意となった私は、いつしか友達から悩みを相談されることが多くなり、周りが自分の事を信頼してくれていることに喜びを感じるようになった。
自分は、職人のように物を作ることで周りの人を豊かにすることはできないが、悩んでいる人の問題を解決し、その人の人生を少しでも明るく豊かにし、その人から感謝されたとき、自分自身の存在意義や、人生の充実感を感じるようになった。
弁護士は、まさに依頼者がその人生に大きな影響を与える決断をするときに、依頼者に寄り添いその人の人生を明るく豊かな方向へと導く仕事。大きな責任を伴うが、依頼者の人生に一生残る、大きな遣り甲斐のある仕事。

目指した年齢

25歳ころ
それまでは、ファッション関係や、旅行関係の仕事に憧れていた。

役に立った習い事

水泳:
弁護士の仕事は、常に敵がいる。
自分を常に律していないと依頼者を守れない。
水泳で、精神力が強くなった。

ボーイスカウト:
相手の立場に立って、親身になり物事を考えることができるようになった。

バイオリン:
心が豊かになった。

この職業はこういう人に向いている!

人の立場に立って親身になり物事を考えることができる人。
その人が嫌なことはせず、その人が望むことをすることができる人。

印象に残る親のサポート

小学4年から中学受験の2年間、父親が朝5時から勉強を教えてくれた。

中学・高校の6年間、母親は毎朝4時半に起き、お弁当を作ってくれ、自宅が駅まで遠かったため、車で送り迎えもしてくれた。

20歳のとき、父親から「自分の人生なのだから、自分で好きなように決めろ。お金は出すが、口は出さない。」と言って、司法試験を目指すときも応援してくれた。

これから目指す人への応援コメント

自分と関わったことで、問題を抱えた人の未来が、明るく豊かになる。
弁護士は、人に夢と希望を少しだけ与えることのできる仕事です。
人のために役に立ちたいと強く願っている人や、人から感謝されることで人生の充実感を感じられる人は、必ず素敵な弁護士になれると信じています。
強い責任が伴いますが、充実した人生を送ることができます。
信念を持って、突き進んでください。