外交官になって世界平和に貢献する夢が、試験に落ちて潰えた時、代わりに頭に浮かんだのが、最初のきっかけであったように思います。
つまり、多くの戦争は貧困(経済的な要因)で起こる…ならば社会で経済価値(事業)がどう生まれ、どう評価され、どう増えてゆくのかに興味を持ちました。
そしてそれが、最初の就職先に銀行を選んだ理由になりました。
上記の通り、最初に興味が芽生えたのは外交官試験に落ちた年、26歳でした。
ただ明確に「事業開発」という形になったのは、米国勤務中にシリコンバレーのベンチャーキャピタリストに「事業を大きくするコツを知るには、自分が起業して成功することだ。火の粉が飛ばない所から見ているだけじゃあ、永久に分からないぞ」と言われた時、33歳でした。
浪人2年目に駿台予備校で、奥井潔先生(英語)と秋山仁先生(数学)に学べたことです。
いずれも学業ではなく人生に関することで、戦争で回天の生き残りだった奥井先生からは「人生は自分で切り拓くこと」と「芸は身を助けること」を、
既にメディアでも有名だった秋山先生からは「人があまり目を向けない分野で世界一になる生き方」を学んだことが、この仕事に大いに活きています。
・周囲の多くの人と違う自分に快適でいられる人。
・大勢におもねることなく健全な批判精神を持つ人。
・昨日の自分より一歩でも前に行かないと危機感を覚える人。
・自分より優れた人を素直に尊敬できる人。
・一流の人に臆せず挑める人。
・直面した障害から逃げずに学ぶことができる人。
何事も強制せず、私がやりたいことをとりあえず何でもやらせてくれたこと。
幼少期に多くの転勤を強いられたことで、人と強い絆を結ぶことが苦手になりましたが、その中でも一つ水泳で全国大会レベルという特技があったことは、どこへ行っても異物として排除されない強さを身に着ける上で、大きな助けとなりました。
人と違うことを恥じないで。そこから自分の得意技を編み出せるのだから。
社会に出たら、できない事は人にやって貰えばいいのです。
何でもできる人は、何もできない人。
貴方に沢山できないことがあったとしても、これだけは譲れない…という武器があれば、いつでも仲間はできます。
安心して、独りで牙を研いでください。