Tobira

渡邉吉樹

一次産業 酒造家
酒造業、農業

1961年7月生まれ。
東京経済大学経済学部卒。

1984年㈱日本リース入社、1986年同社退社。
1987年合名会社渡辺酒造店入社、2001年同社代表社員就任、現在に至る。

これから目指す人へ

きっかけ

農家の次男坊として育った私は、地元の高校を卒業し、東京の大学へ進学して、そのまま東京で社会人となりました。
金融商社の仕事はとてもハードでしたが、達成感がありました。
入社して3年が経とうとしていた頃、実家からお見合いの話があり、地元に戻ってこないかというので詳細を聞いたところ、酒造会社で婿養子として迎えたいとのことでした。
ゆくゆくは田舎に帰ろうと思っていましたので、結婚を機に酒造りの世界に入りました。
もともと職人的な仕事が好きでしたので、先輩の杜氏、蔵人のもとで技能を習得するのは自然に取り組むことができました。

目指した年齢

結婚そして入社したのは25歳でした。
生活も職場もガラッと変わりました。
しかし、家は変われど生まれ故郷ですから仕事に専念することができました。
社長である義父からは、酒造りの世界に入るのが遅かったので、一生懸命に頑張りなさい。そうすれば40歳くらいには日本酒のことが分かるようになるよ、と言われたのを今でも覚えています。
確かに日本酒の世界は奥が深くて難しい世界だと実感しています。

役に立った習い事

役に立った習い事ですか…。
習い事ではないですが、物心ついたころから外で遊び、野良仕事の手伝いをしていました。
昔の農家は子供も重要な働き手でしたから、私も小学校入学と同時に毎日夕方5時には風呂を薪で沸かす係になりました。
田植え、稲刈り、夏の草刈り、畑仕事、学校から帰ると母親のメモがおやつと一緒に置いてあります。
家の板の間の雑巾がけ、土間の掃き掃除など、今考えると酒造業の基本である衛生管理の基本、掃除、洗濯、整理整頓が子供のころから習慣づけられておりました。
それから、読書は重要です。
いろいろな問題が起きてきますが、解決策を見出すのは自分自身です。
そんな時には参考になる著書があるはずです。
常に広い視野で本を探して読む習慣をつけましょう。

この職業はこういう人に向いている!

酒造りは衛生管理が非常に重要です。
目に見えない微生物を扱う仕事ですから、常にきれいに、きれいに仕事に取り組む姿勢が要求されます。
あまり神経質になる必要はありませんが、普段の行動で身についていることが大切です。
そのための基礎訓練はある意味で忍耐が必要ですが。

印象に残る親のサポート

私の親は厳しかったですね。
農家の生活は自然が相手ですから、自分の都合は通りません。
人事を尽くして天命を待つ。
父はあまり話すことはないですが、威厳がありました。
母はいつ寝ているのかわからないほど、早朝から深夜まで働いていました。
余計なことは言わず、子供を信じてやりたいことをやらせてくれた両親でした。

これから目指す人への応援コメント

私は日本酒業界ではまだまだ珍しい米作りから酒造りまで一貫生産をしています。
長男を含めて若い社員スタッフと苗つくりからすべて自社栽培で酒造りをしていますが、根知谷はとても景色のいいところです。
田んぼに立って稲の成長を見守り、収穫した米で日本酒を造る生活は、農村ならではの醍醐味です。
自分たちの作った米で酒を造るという実感、充実感は何物にも代えがたい価値があります。
ここでしかできない日本酒。唯一無二の日本酒を皆さんにも味わって頂きたいですね。